日本の最北端は、択捉島(北方領土)のカモイワッカ岬である。領土問題に解決の兆しが見られない現状においては、一般人が到達できる最北端は宗谷岬ということになる。 私は2005年の夏に、この最北端の地を訪問した。 |
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先に利尻島・礼文島を観光した後、フィルイーズ宗谷で稚内港フェリーターミナルに到着。 | |
宗谷岬を一度通過。ライダーが休息している光景が見えた。こんなに大勢人がいると記念撮影も困難である。さきに猿払に行き昼食をとった。 | |
昼食を終えた後、再度、宗谷岬へ向かう。 |
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これが”日本最北端の地”の記念碑である。観光客が入れ代わり立ち代り、この碑の前で記念撮影をするので碑そのものを写真に収めるのにタイミングが非常に難しかった。 | |
この像は江戸時代の探検家、そして測量家でもある間宮林蔵である。幕府の命により海峡を渡り、樺太(サハリン)が半島ではなく島であることをヨーロッパより先に確認した功績者なのである。 | |
間宮林蔵像の背景に小島が見える。この島は弁天島という。通常、北方領土を別枠とした場合の”日本最北端”は宗谷岬として紹介されるが、実際には最北の地は宗谷岬そのものではなく、この島が該当する。 この島の位置は北緯45度31分30秒であり、礼文島の”日本最北限”スコトン岬沖合いの種島(北緯45度30分14秒)を1分16秒(約2.4km)の僅差で上回る、まさしく”日本支配領土最北端の地”なのである。 |
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近くには日本最北端の売店がある。この売店の前で記念撮影する人も何人かいた。シャレた入口で、しかも日付まで入っていて、時計、温度計付き。写真撮影ポイントとしては実に気が利いている。 | |
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このお店で購入した日本最北端到達証明である。波照間島や与那国島で配布しているものと同様、観光客にとっては良い記念になる。 |
沿道にはそのほかにも日本最北端を掲げる店が多数並んでいる。中には”元祖日本最北端の店”などといった表記をしているお店もある。 | |
その後、車で高台にある宗谷公園へと向かった。 |
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宗谷公園には鶴の形をデザインした塔がある。これは祈りの塔と呼ばれ、 大韓航空機撃墜事件の遭難者の慰霊と世界の恒久平和を願い建立されたものである。 | |
この公園の一角にも店が数件並ぶ。その中には”日本最北端の寿司屋”を掲げる店もある。 | |
敷地内には宗谷海域海軍戦没者慰霊碑があった。太平洋戦争末期に宗谷防備にあたり殉職した人々の鎮魂のために建てられたものらしい。 | |
最果ての地にふさわしい方角モニュメントもある。サハリン(旧樺太)43km、フィリピン・パギオ市(姉妹都市)3,820km、フランスグルノーブル市(同緯度)10,638km、沖縄石垣市2,849km(友好都市)など、所縁の地が記されている。 | |
これは旧海軍望楼というもので日露戦争時に国境の防備用として作られた要塞とのことである。 | |
宗谷公園から見下ろす宗谷岬の風景である。 | |
そして水平線を望むと、サハリンがはっきりと確認できた。この日は非常に天候が良かった。(写真はズームで撮影) | |
宗谷岬は実にモニュメントが豊富である。岬だけでなく高台の宗谷公園へも是非足を伸ばすことをお奨めする。 宗谷岬においては、 ・間宮林蔵像→鎖国時代の大偉業 ・日本最北端の地の碑→最果て情緒 宗谷公園においては、 ・方角モニュメント→最果て情緒 ・旧海軍望楼→日露戦争 ・海軍戦没者慰霊碑→太平洋戦争 ・祈りの塔→昭和末期の忌わしい出来事 様々な思いが頭をよぎる場所である。 |