《鳥島について》
  
日本には鳥島と名付けられている島がいくつかあります。
それらは国境、県境に位置する重要な島である場合が多いようです。
■沖ノ鳥島
★現在の「日本領土最南端」
沖ノ鳥島は東西約4.5km、南北1.7kmの環礁が基盤となっており、その面積自体は島としての活用用途があると思いますが、満潮時には一部の露出岩を残してほとんどが海面下に没してしまいます。
かつては北露岩、南露岩、東露岩、その他3つ(名称不明)の計6つの露出岩があったそうですが、現在では常時海面上に露出しているのは北露岩(現称:北小島)と東露岩(現称:東小島)の2つのみとなってしまっております。この貴重な2つの露出岩は日本政府により消波ブロック、コンクリート、チタン合金製金網などで保護されました。
たとえ一部だけでも常時海面に露出している部分があれば島として定義することができるため、この2つの岩を保護することにより広大な排他的経済水域が継続して保有できることになります。
この島は保守費用が膨大であることから現在では管理は政府(国土交通省)に移管されておりますが所属は従来通り東京都です。郵便番号は100-2100、住所は北小島が東京都小笠原村沖ノ鳥島1番地、東小島が2番地となっております。
戦前は灯台や気象観測所、飛行場などの建設が進められていましたが、第二次世界大戦開戦のために中断してしまいました。しかし1988年には無人の気象観測タワーが設置され、2006年度中には無人灯台の設置が完了するようです。また石原前都知事は発電所や漁業基地の建設プランを提示しており、一部では空港&リゾート施設建設などの壮大な構想もあるようです。
現在では大型船が着岸できる港湾工事が行われているようです。

■南鳥島(マーカス島)
★現在の「日本領土最東端」
太平洋に浮かぶ絶海の孤島で、気象庁職員、海上保安庁職員、海上自衛隊隊員のみが駐在する有人島です。
現在では日本領土最東端ですが、歴史的には千島列島の占守島が日本最東端でした。
日本はサンフランシスコ平和条約(1951年)で千島列島北東部(得撫島〜占守島)を放棄しておりますので今後これらの島々が返還される可能性は極薄のようです。
また返還が待たれる千島列島南西部(北方領土)はどの島も南鳥島より西に位置するため、返還された後も南鳥島が最東端であることには変わりはありません。
そして中ノ鳥島(後述)についてはその存在について今だ実証されてなく、もし仮に海面下にその存在を裏付ける環礁か岩礁が発見されたとしても満潮時にその一部でも海面上に現れていなければ領土として認められないため、単なる海洋遺跡としての価値にしか過ぎません。
従って南鳥島は正真正銘の日本最東端ということになります。
この南鳥島には長らく駐在職員の手で作られた”日本最南東端の碑”が設置されておりましたが、現在では”日本最東端の碑”に記載修正されたものに置き換わっているようです。なぜこれまで”日本最南東端”と表示していたのか理由はわかりませんが、もしかしたら長らく海図上に中ノ鳥島(南鳥島より北東に位置)が記載されていたからではないかと想像することもできます。

■中ノ鳥島(ガンジス島)
★不存在が確定した幻の「日本領土最東端」
日本最東端は南鳥島(マーカス島)ですが、かつてこの南鳥島(153度59分12秒)より僅か東に位置する日本最東端の島が海図上に存在していたようです。北緯30度47分・東経154度15分付近の海域に位置していたとされておりました。この島は1907(明治40)年に発見され、翌年1908(明治41)年に日本領に編入され「中ノ鳥島」として海図に載せられました。その後、繰り返し探索してもどうしても再発見することができずに、結局1946年に海図から抹消させられることとなりました。何故2度と人の目に触れることがなくなったのかについては諸説があります。
1)一時的に出没した火山島説
たとえば豆南諸島の明神礁(ベヨネーズ列岩)や小笠原諸島の西ノ島新島などは海底火山の爆発により形成され、次の爆発で海没しかけた島です。これらの島のように中ノ鳥島も一時的に出現し、その後の爆発で再び海面下に没してしまったのではないかとも考えられます。当該海域近傍には海山(マカロフ海山)が存在します。しかしこの海域は火山活動がほとんどないため可能性は低いようです。
2)侵食により没した隆起サンゴ礁島説
沖ノ鳥島(日本最南端)や南鳥島などは隆起サンゴ礁でできた島です。特に沖ノ鳥島は侵食が激しく、危うく日本は広大な海洋資源を失うところでしたが、護岸工事によりなんとか島は守られております。これと同様、中ノ鳥島は発見された後、急激な侵食により海面下に没してしまったことも一応考えられます。しかしこの海域近傍のマカロフ海山は山頂が海面下約1400mですのでこれを痕跡として説明するのはかなり無理がありそうです。
3)他島誤認識説
当時の船位測定精度は現在ほど高くはなかったため、近海にある南鳥島を別の島と認識してしまい、それを中ノ鳥島としてしまった可能性もあります。また、南硫黄島近海にある福徳岡ノ場(海底火山)で形成された新硫黄島(噴火のたびに出現して波浪で没する島)を誤認していたことも考えられます。
4)虚言説
発見者およびその関係者は、大東諸島と同様な燐鉱採掘に適した島がその海域に実在しているとして話を作り上げ、投資家から金を騙し取ろうとしたのではないか、とも疑われていたようです。
《備考》
中ノ鳥島が海図上に記載されていた時代は、その当時日本が領有していた千島列島の占守島(東経156度19分00秒)が中ノ鳥島(東経154度15分)や南鳥島(東経153度59分12秒)より東に位置しているため、中ノ鳥島は日本最東端としては扱われていなかったようです。

■伊豆鳥島
★戦後一時期の「有人日本領土最南端」
アホウドリの繁殖地と活火山(火山活動度ランクA)として有名な無人島です。江戸時代以前から無人島であり、ジョン万次郎が漂着し救助までの数ヶ月の期間、生活していた記録もあります。
1886年(明治19)に羽毛・食肉採取のためにアホウドリの捕獲が始まり、本格的に人々が定住するようになりました。
しかし、1902年(明治35)8月の火山大爆発で島民125人が全滅しました。
翌年にはアホウドリ捕獲が再開され再び人が住むようになり、1928年(昭和3年)にはウミツバメの羽毛やサンゴ採取を目的とした移住者も加わり、島の人口も約300人まで増え小学校まで開設されました。しかし、乱獲のためにアホウドリの生息数は激減し、1933年(昭和8年)に捕獲禁止となり人口は減少し、さらに1939年(昭和14)の火山大噴火で溶岩流が発生し全住民が島外へ脱出し、再び無人化してしまいました。。
1947年(昭和22年)からは気象観測所が開設し気象庁職員が駐在して約18年間観測が行われましたが、1965年(昭和40年)の群発地震で全員が撤退し再び無人島に戻りました。
この島は北緯30度29分02秒、 東経140度18分11秒に位置しており、敗戦後、小笠原諸島および南西諸島の一部(沖縄、奄美、吐噶喇)など北緯30度以南の島々が米軍の施政権下に置かれていた僅か5年弱の期間、日本の実効支配下における有人島最南端でした。
※尚、無人島では孀婦岩(北緯29度47分39秒、東経140度20分31秒)が最南端でした。
※伊豆鳥島ではこの期間、一般人の定住はありませんでしたが、気象庁職員が観測のために常駐していましたので
 有人日本領土最南端ということになります。

《南側領土の日本施政権停止と解除の変遷》
・1945年8月20日:沖縄諸島のアメリカ軍による統治が開始。
・1945年9月 2日:奄美群島の日本施政権が停止。
・1946年1月26日:小笠原諸島の日本施政権が停止。
・1946年1月29日:伊豆諸島の日本施政権が停止。
・1946年2月 2日:吐噶喇列島北緯30度以南(下七島)の日本施政権が停止。
・1946年3月22日:伊豆諸島の施政権停止が解除。
※伊豆諸島最南端の孀婦岩(北緯29度47分39秒、東経140度20分31秒)が日本領土最南端となる。
※この時点では伊豆鳥島は無人島のため、上三島の薩摩硫黄島(北緯30度47分35秒、東経130度18分19秒)が
 有人日本領土最南端になる。
・1947年6月 1日:伊豆鳥島に気象庁鳥島気象観測所が開設し気象庁職員が島に駐在し有人島化。
※ここから伊豆鳥島(北緯30度29分02秒、 東経140度18分11秒)が有人日本領土最南端となる。
・1952年2月10日:吐噶喇列島(下七島)が日本に返還。

※横当島(北緯28度48分、東経128度59分)が日本領土最南端となり、
 同時に宝島(北緯29度8分45秒、東経129度12分30秒)が有人日本領土最南端となる。

・1952年4月28日:沖縄諸島が正式にアメリカ合衆国の施政権下に置かれる。
・1953年12月25日:奄美群島が日本に返還。
※与論島(北緯27度02分40秒、東経128度25分02秒)が有人・無人を含めた日本領土最南端になる。
・1965年11月15日:伊豆鳥島で群発地震により観測所が閉鎖、気象庁職員は全員撤退し再び無人島化。
・1968年6月26日:小笠原諸島が日本に返還。
※沖ノ鳥島(北緯20度25分31.9768秒、東経136度4分52.1430秒)が日本領土最南端となり、
 南鳥島(北緯24度17分12秒、東経153度58分50秒)が有人日本領土最南端になる。
・1972年5月15日:沖縄諸島の施政権が日本に返還
※波照間島(北緯24度3分33秒、東経123度46分57秒)が有人日本領土最南端になる。

■硫黄鳥島
★「沖縄県最北端」
沖縄本島最北端の辺戸岬と鹿児島県最南端の与論島との距離が僅か22kmであるため、沖縄本島が最北端と誤認識しがちでありますが、沖縄県有人最北端の伊平屋島は鹿児島県与論島の西約30kmにあり、さらに沖縄県最北端の無人島である硫黄鳥島は鹿児島県徳之島の西約65kmにあります。硫黄鳥島は沖縄県所属ではありますが位置はほとんど奄美群島領域です。
ここもやはり火山島でかつては住民が暮らしておりましたが、噴火に伴う降灰、爆発鳴動、地震などによる被害が多く、1903年に大鳴動と地震により硫黄採掘者を除く島民全員が久米島へ移住、再び入植した島民も1959年の噴火によって全島民が那覇に移住、1967年11月25日の噴火では出稼ぎ来島採掘員も全て撤退し完全に無人化しております。
最初の移住先が久米島であることから、この島は久米島の属島となっておりますが、沖縄県である久米島からは北東約200kmの距離にあり、鹿児島県の徳之島から約65kmという飛び地のような離島です。また、この島の呼称は元来、鳥島ですが、久米島の北28kmにも久米島の属島である鳥島(久米鳥島)があり、間違えやすいため、それぞれ硫黄鳥島、久米鳥島というように慣用名として区別しているようです。

■備前鳥島
★国境に位置する「長崎県最西端」、および戦後一時期の「日本領土最西端」
福江島の南西約60km、男女群島から北西方向に35kmに位置する長崎県最西端の無人島であり、北小島、中小島、南小島の3つの島で構成される島嶼群です。この島嶼群も実は対馬島などと同様に韓国との国境に位置する重要な島であり、尖閣諸島や竹島ほど話題には上りませんが、無人島であるがゆえに中国などの他国船により領海侵犯操業が繰り返されております。特に2011年ごろからそれが顕著になっていることから、海上保安庁では警備を強化しております。
韓国政府は不法占拠している竹島については岩としてEEZ基点にしていなかったのですが、竹島領有を主張するあまり、従来主張していた鬱陵島から竹島にEEZ基点を変更すると主張したため、日本政府も対抗して肥前鳥島を日本側EEZの基点として主張する意向を韓国側に伝えたそうです。もし仮にこれらについて両国が容認した場合、韓国側の竹島周辺海域におけるEEZは約2万km2を獲得するのに対し、日本側は肥前鳥島から済州島付近までの韓国側海域において約3万6千km2獲得するため、韓国側にマイナスになるようです。その後、2012年には韓国政府が一方的に肥前鳥島周辺海域から沖縄トラフに至る東シナ海を自国のEEZであると主張するようになっているようです。
このような状況下において、2012年7月には五島市の市長らが肥前鳥島を視察、自由民主党の衆議院議員らが日本の国会議員としては初めて肥前鳥島に上陸し、領土の保全と資源開発を主張しております。
これら3つの島は従来、北岩、中岩、南岩という呼称でしたが、国境に面した重要な島が岩と名付けられていることを問題視して、2014年1月24日にそれぞれ北小島、中小島、南小島へと名称変更が行われました。

また、この島は長崎県最西端(北緯32度14分37秒、東経128度06分16秒)であり、鹿児島県最西端の与論島(北緯27度02分40秒、東経128度25分02秒)より西に位置しているため、戦後から沖縄本土復帰までの期間、日本最西端でした。

■西鳥島
★戦時中の「日本領土最西端」
南沙諸島(日本領有時の呼称:新南群島)の最西端に位置する南威島(日本領有時の呼称:西鳥島)はかつては日本が支配しておりました。
現在はベトナムが実効支配しておりますが、中国、台湾、フィリピンも領有権を主張しております。
面積は0.15km2、海抜は2.5mの島で、ベトナムが建設した空港があり観光地化しているようです。
1938年(昭和13年)12月23日の閣議決定から、1952年(昭和27年)4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効されるまで日本が台湾の属島として領有し、西鳥島という呼称のもと日本領土の最西端となっておりました。